『オニババ化する女たち』 三砂ちづる

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

出遅れた感があるが、話題になった『オニババ化する女たち』を読んでみた。

タイトルはナンだが(このタイトルでは、本当に届けたいであろう出産適齢期の女性に届かなさそうで残念。これだけ有名になれば問題ないか・・)、著者の主張はいたって単純で、「女性性を大切に」。そのため、「生理」「出産」など女性の体に素直に向き合え、と。

なにも、働くことを否定したり、不妊を責めているんじゃない。むしろ、仕事はしつづけたほうがいいといっているし、不妊も妊娠と向き合っていると捉えている。若いうちに産んじゃって、40代半ばで子どもが成人して手が離れたらおもいっきり仕事するのが理想、とも(これは、キャリアの積み上げという意味ではかなりキビシイのでは?)。 だから、女性の自立と相反するものではない。

また、本書では、かなり出産についてページを割かれている。出産は、祖母から母へ、母から娘へと正しく知識が伝わっていれば、決して怖いものではないというを繰り返している。それが途絶え、中途半端な性教育、病院による管理だらけの妊娠・出産が、今かなり問題を引き起きている、と。

私も多分にもれず、母から出産のことについて、ほとんどアドバイスはもらわなかった。「30年も経つと忘れちゃうわねぇ」でおしまい(笑)。知識や経験談は、本・雑誌、ウェブ、友人から仕入れたものがほとんど。

でも、それで心構えができていたせいか、もともと痛みなどの耐性が高いのか、確かに痛かったけど、出産後、ある種の達成感とすがすがしさがあった(著者のいう伝統的な出産後の妊婦に近い)。そして、あっという間に「痛み」については忘れてしまった。

これは出産に対してはとても肯定的でいたからだろうか。たまたま、ラッキーだったのか。


さらに、著者は、結婚については、大賛成、とにかくだれでもいいから(?)ささとくっついちゃいなさいよ、という立場(ちょっと乱暴・・・)。これは、結婚そのものというよりは、「男も女も心許せるパートナーがいて、子どもを産んで、次世代を育てていくのがよい」、という意見が先にあって、そのため現状では「結婚」という選択をしたほうがいいということだと思う。

また、「負け犬」については、あくまで彼女らは強者だから、ほっといてよし、と言っている。本当に救わなくてはならないのは、自分でパートナーを見つけられない性的弱者の女性だ、と(『もてない男』みたいだね)。ただ、その人たちの救済方法については何もいっていないなぁ。


「オニババになる」というのは乱暴な言い方だが、女性性を中心に「からだ」と「こころ」の欲求を満たさないままでいると、身も心も変調をきたすのはわかる気がする。そりゃ、すべて満たされるなんてありえないんだけどさ。ガマンが続けばよくないのは当たり前だ。現代人が忘れそうになっている「自然の営み」を再考するのは悪くないはず。


その後、この本は、web上で『オニババ』論争とでもいっていいくらい盛り上がってたことを知った。「負け犬」といい、「オニババ」といいキーワードはきついが、私もこの手の本はそこそこ読んでいる。多様化する女性の生き方について考えることは、身の丈にあった問題なので、関心度大なのだ。