15号顛末記

なめていた・・わけではないが、14時すぎに総務から各自の判断で帰宅してヨシというメールが来てても「また、また〜」くらいにしか思っていなかった。今日中に届く原稿をまっていたというのもある。
が、あれよあれよという間にあちこちの電車が止まり、ボツボツと会社を後にする人が出てきた4時半ごろ、やっと焦りはじめ会社を出た。
そのころはまだ、自分の使用している路線はすべて通常運行していので、高をくくっていた。が、電車は風に弱い、というか、ある一定の風速以上を観測すると異常がなくても止めるということをすっぱり忘れていた。
普通に帰れることを露も疑わず、電車に乗った。地下区間をすぎ、地上に出る頃「この電車は当駅どまりです。強風のため下り電車の運行の見込みは立っておりません」となっていた。そのころは雨も横殴りに降り、終点となった駅の地上にあるホームには人がほとんどおらず(というか、とてもいられない状況)、駅舎の中には人があふれ、改札を出たところにある商店街も人、人、人。
どこかで見たことがある風景・・・そう、あれは3.11。あのときも、自然災害により、電車が動かなかった。そのときもそのうち復旧するという期待をもちつつ、結局は会社から家まで歩き通したが、今回は直観で「復旧を待つより歩いたほうが早いな」と思った。そのとき5時すぎ。前回の歩いた記憶が新しいため、そこからの全行程歩いたとしても、6時半までには保育園も学校(学童)にも行けるなとそろばんをはじくことができた。
うっしゃと気合を入れ、歩きやすく迷いようがないという理由で大き目の街道へ。震災のときは黙々と帰宅する人の列ができていたが、さすがに横殴りの雨に強風という台風では、電車が止まっているとはいえ、歩いている人の数はまばら。大きな街道を歩いているため、ビルが立ち並んでおり、横からの風がしのげるのがありがたい。が、逆に言えば、ビルとビルの間、特に道を渡るときには、一気に突風が吹き、油断すると体が持って行かれそうになる。申し訳程度に傘をさしていたが、時期に全身ベトベト。ゲラをビニールにきちんと包んでもってきたのは幸いだったか。たまたまだが、来ていた服がはっきりした色の柄のあるもので助かった(そうでなければ透けてかなりミットモナイことに)。時に看板や何かの破片なんかも飛んできて、これは歩かなくてもいいのなら歩かないほうがいいわと人が少ないことに納得。ただ、母は行かねばならんノダ。
震災時と異なり、電話が通じたのは幸い。保育園、学童ともに現在の状況、位置、到着予定時刻を伝えることができた。保育園はもとより、普段は1人で帰宅させている学童も「今日は保護者の方がいらっしゃるまでお待ちしますから、安全に来てください」とお迎え必至になってた。
一度会社から家までの全工程を歩いているので歩ける自信はあるし、そのときのちょうど半分くらいしか行程はないから、気も体もかなり楽だった。人間慣れるものである。週末、家族で高尾山に登ったときのかるい筋肉痛もあったが、もくもくひたすら歩いているうちに、学童に到着した。
あまりに濡れネズミだったからだろうか、職員みなさんでねぎらってくれた。もっとたくさん子供が残っているだろうと思っていたが、みなさん危機管理がしっかりしているのか、6時の定時をすぎて20分くらいについたときには、学童にはうちの子ともう1人いただけだった。
小学生は台風の中を歩かせても大丈夫だと思っていたが、保育園児はマジで危ないと思い、一旦二人で帰宅。シャワーをあび、車を出して迎えにいった。
保育園はまだまだお迎えまちの子がたくさんいて、状況をよく分かっていない様子だったワイくんをピックアップ。そのころには、雨が収まっていたのが幸いした(そうでなければ、車に乗せるのも一苦労)。
そんなこんなで、またまた歩いた災害時なわけだが、無事帰宅。被害もなくよかったよかった、と言いたいところだが、1つ無事でなかったのは、ケータイ!!あちこち連絡を取りながら、雨を避け風に立ち向かい・・・とやっているうちにどこかで落としたらしい!!!1か月ほど前に変えたばかりの、まだあまり使いこなせてもいないスマホなのに。高かったのに〜。このケータイの顛末はまたのちほど。