地震当日の記録

自分史上第1位の揺れを感じた大地震。当時の自分の動きを記しておこうと思う。

14時半すぎ。いつもとは違う強さの揺れに襲われた。揺れの長さもかなりのもの。会社の私がいるフロアは2階ということもあり、揺れはまだましだったと思われるが、整理の悪い人からゲラがバラバラと崩れたり、棚の本がばさばさと落ちた。

大きかったなと思いつつニュースサイトを見ながら、仕事を続けた。周りは動揺が広がり、ラジオやテレビ(携帯のTVなど)を見る人がいる中で、あとで「あの状況でよく仕事ができたね」と言われたが、なにせ次の月曜日が入稿だったので、一言でいえば佳境だったのだ。東北ではあんな大惨事になっていることとは知らずに、もくもくと仕事を続ける私。

そしてこのとき佳境に入っていた原稿の組版をしてくれていた方が宮城の最大震度を記録した市に住んでいた。震源地や震度の強さをニュースで知り、即座に「大丈夫ですか?」とメールをしたが、返事はなかなかなかった。

おさまってはまたくる余震。さすがにこれはヤバイと思い「すぐ帰らなくちゃ」と思うものの、「この原稿だけは送っておかなくちゃ」という気持ちもあり、焦りながら赤入れ。電車が止まっているというニュースも入っていたので、動き出したら帰ろうと思っていた。今思うと、甘いね〜。

1時間近くして、先方携帯から返事がきた。「建物も私も大丈夫。だけど停電でしばらくできない」と。今日中に戻さなきゃと余震が続く中頑張っていたが、先方の停電を聞いて「続きは明日でいいや」と思い、帰ることを決意*1。電車がすぐに動かなさそうということは感じていたので、歩けるところまで歩き、動き出したら乗ろうと。

家が近く(同じ駅)、保育園に子供を預けている同僚に、一緒に歩こうと声をかけ、出発。会社の玄関でもう1人、途中まで一緒に行こうと声をかけられ、ママさん編集者3人連れで、4時過ぎ歩きだした。

電話は全然つながらず、メールはなんとか届くという状態で夫と連絡を取りあい、すぐに歩いて帰るように依頼。その甲斐あって30階以上の階段を1往復半して、帰宅の途に。

互いにあちこち電話をかけながら、一緒に話しながら、いつもより少し早歩きで、なんとか日が高いうちに距離を稼ごうと頑張った。同僚と歩いたのは大正解で、一人で歩いていたら途中でくじけてしまったかもしれないが、ひっぱられるように歩けた。

かなり電話はつながりにくかったが、何度かかけているうちに、夫、実家、保育園とは話すことができた。最後の最後までつながらなかったのは、学童。子供の様子を聞き、今歩いて向かっていると伝えるだけでこんなに大変とは。ただ、学校からは、4時前に防災メールがとどき、地震発生後すぐに校庭に集まり、全員無事であるが、引き取りに来れる人は来るようにという連絡が来ていたため、ひとまずの安心をもって歩くことができた。防災メールはすごい。

結局、距離も近く、また歩くのも速かった夫のほうが一足先につき、7時過ぎには保育園→学童と周ってピックアップしてくれた。へろへろになりながら帰宅すると、3人の元気な姿が。ほっー。

その後、テレビをつけると大変なことになっていると気づいたが、歩き疲れた私たちはお風呂にはいってすぐに寝た。ぐたー。



3月29日記

*1:もちろん、実際は次の日は行っていないけど