ある増刷書に思うこと

今読んでいる某実用書は、あるビジネス系版元から出ている2000年が初刷で、最新刷が2005年の本である。増刷を何度か重ねているようで、順調に売れている様子がうかがえる。

だが、読んでみると、あるところでは1999年現在(1刷のとき)の情報、また別のところでは02年現在の資料が登場し、またあるところでは最新の05年現在のデータが入っている。増刷のたびに気になったところに手を入れていった結果なのだろうが、通して読むと記述がチグハグになっていて気持ちが悪い。改訂でもあるまいし全部最新のデータ・記述に変えるのは無理、かといって、古い記述のままでは心苦しい、したがって気になるところのみパッチワーク的に修正をしていったらこうなったといった感じ。

読者の立場からすれば、もちろん、最新の情報を読みたいが、編集の立場では、増刷のたびにすべてを変えるわけにいかないのは良くわかる。が、混ざるのもよくない。記述に整合性も取れなくなる。

さらに、まずいものを見つけてしまった。なんと文章が途中で途切れているのだ!あまりお目にかかることのない、めずらしい誤植(なんて感心している場合ではない)。文脈からするに、増刷時に今無くなってしまったところ以降の記述を変更しようとして、新たな文章を入れ忘れてしまったのだと思う。なんともオマヌケな話だ。

増刷は、印刷機を回すだけ、なんて単純なものではない。哲学が必要なんだ(ちょっと、おおげさ?)。