私はきっと一生ポッドキャスターにはならない

ひと昔前までは手書きだった文字が、ここ数十年のワープロ、パソコンに普及により、タイピングされたものが当たり前になった。

書き文字はその人をよく表し、文字を見ただけで誰が書いたのか分かったり、知らない人が書いた文字でも筆跡を見てその人となりを想像してみることもできた。

今やメールや文書も手書きは少なくなった。字の汚いひと(はーい、私です)や自分の字がキライな人には、大変ありがたい世の中になったんだと思う。タイピングだと書くより早いし、何より疲れない。ブログがもし手書きによって書かれるものだったら、まったく普及していなかっただろう。

さて、声のブログと言われるポットキャスティングだが、受信はともかく、発信者にはたぶん一生ならないと思う。なぜから、自分の声や話し方が好きでないから。何をわざわざ好き好んで自分の声を晒さなくてはならないのだ、と思う。

じゃ、もし声がデジタル処理されるのが当たり前になったら?たとえば文字のフォントみたいな感じになったら?ロボットのように画一化された音声化されるようになったら?・・・今の感覚ではかなり気持ちが悪い。

文字の規格化ができたようには、声(音)の規格化はできない。

というわけで、私はきっと一生ポッドキャスターにはならないだろう。