二度目の悲しみ

今日は、2005年のワースト1である出来事を、2006年は年初に体験することになってしまったヘビィな話。

「稽留(繋留)流産」。「けいりゅう流産」と読み、「おなかの中で赤ちゃんが死んでしまい、そのままとどまること」を言う。今回、2回めとなる繋留流産を経験することになってしまった*1
前回も今回も、胎児を入れておく胎嚢((約5週目ごろから超音波検査で見られる))は確認できたものの、心音が確認されることなく*2、命をつなげなくなってしまった。この心音を聞けるかどうかというのは、妊娠初期の大きな関門の1つである。チビのときは、なんなくクリアしたのに、その後2回はその門は堅く閉ざされていたようだ。
5週目〜6週目といえば、つわりも出てきていよいよ自覚症状も出てくる時期だが、そのころおなかの子の頑張りが利かなくなってしまったようだ。余談だが、私の経験から「つわりのあるうちは赤ちゃんが順調に育っている証拠」というのは、必ずしも正しくない。「たぶんダメ」という診断がついてからもつわりの症状は続いていた。ダメっぽいのに体調だけ悪い、一番気持ちもカラダもつらい時だった。ただ、その後、本格的にダメだと分かる頃*3、つまり赤ちゃんがなくなって10日〜2週間経っていると思われるころからは、つわりっぽい症状もなくなり、カラダだけは通常どおりに戻っていた*4

通常、稽留流産の場合、カラダの回復や今後のことを考えて*5「掻爬(そうは)手術」を受ける。字のごとく、子宮の中をかきだし、きれいにする手術のことだ。
私は経産婦ということで、日帰りの手術*6。手術自体は数分のものとはいえ、全身麻酔をし、カラダの内部よりかきだす手術なので、カラダには負担がかかる。前回、手術を甘くみて(?)、土曜日の手術後、月曜日に会社に行ったら、火曜日ひどい熱がでて、結局休まなくてはならなくなり、おまけに再手術まで受けるハメになったので、今回は土曜日(4日)の手術に対し、月、火とあらかじめ休みをとっておき、実家から母に応援にきてもらった。
同じ病院、同じ先生ということで、前回より心の準備ができてからの手術になったが、やっぱり手術はイヤだし、できればしたくない。全身麻酔は、自分が自分でなくなる摩訶不思議空間。それから少しずつさめてきて*7、ああ終わったんだなぁと頭では思うものの、そもそも中亡くなった子がおなかにいた体感が薄いため、それが取り除かれた実感もなく、それがかえってかなしかった。

そもそも流産は、10〜15パーセントの割合で起こる、いわば自然現象。その多くはその子の染色体異常*8など、自然淘汰的なものらしい*9。が、さすがに2回続くと怖くなる。何かいけない原因があるのだろうか。次は大丈夫なのだろうか、と。ちなみに、3回以上続くと「習慣流産」といって原因を検査をすることが多いという*10。私の場合は、一度トラブルもなく出産をしているので、先生は、「あまり深刻にならずに、次に向けて前向きにがんばりましょう」と言っていた。

生命というのはかくも不思議なものだ。親とはいえ、預かり知らないところで命が芽生え、なんの策もとれずままその命を終えていることもある。思えばチビのときはあまりに順調だった。つわりなどももちろんあったが、それは順調に育っているからこそのつらさ。今思えば、そのころの自分がうらやましいくらい。こどもは「授かりもの」。いただけた命をありたがく大事に育むしかないのだ、と思う。体調が回復したら、しばらく体調の悪さもあってあまり構えなかったチビとたくさん遊び、次の「授け」を待つことにしよう。

*1:1度目は2005年5月

*2:通常、7、8週目までには確認できる

*3:通常、大事をとって1週間以上あけて2度診察するので、2度目はダメ押し的な意味合いも・・

*4:でも常に「死んじゃった子がおなかにいる・・」と思う気持ちはある。つらい

*5:子宮の中に何かが残っていると、感染症をおこしやすい

*6:経産婦は産道がある程度柔らかくなっているので、産道を広げる処置がいらないため日帰りでいいらしい

*7:死ぬとき最後まで聴覚が残るというのを聞いたことがあるが、麻酔の切れかけって、はじめに聴覚から戻るんですね。今回の体験談より

*8:「受精時に40%近くあった染色体異常の胎児は, 妊娠週数が進むにつれて流産して少なくなる」らしい。一人の人間が出来上がるすごさを感じる数字だ

*9:だから「仕事で無理したのがいけなかった」とか「冷やしたのがいけなかった」とか思っても仕方がないらしい。・・とはいえ、やっぱり思ってしまうけどね。考えないようにしている。あと「歳かなぁ」ってのも考えないように(笑)

*10:私のように2回続くと「反復流産」。この段階で検査する場合もあるらしい