『高学歴ノーリターン』 中野雅至

高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay (ペーパーバックス)

高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay (ペーパーバックス)

「学歴社会が崩れ、高学歴者はその努力や能力に対して報われない生活を送っている。このままでいいのだろうか」と疑問を投げかけた書。この場合の「高学歴」とは単に大卒ではなく、「東大法」を筆頭に「東一早慶京阪神」レベルの超一流大学を出た人たちのこと。となれば私を含め大多数の人には直接関係がない話のだが、ひろく「学歴社会」の今後を考えているという点では、子どもをもつ親として関心大なところ。

筆者は、今の高学歴者はまったく報われていないという。それに対して多くの高学歴者は怒っていない。それは親が裕福で自分が高収入でなくても構わないからというのがその根拠。その中で割を食っているのが頑張って超一流大学に入り、努力して中央官庁や一流大学に入った中流階級出身の高学歴者。彼らの払ってきた多大な努力は、ささやかな安定と人よりはマシというレベルの収入を手に入れただけにしては安すぎるものである。また、彼らの能力に見合った仕事はなかなかさせてもらえず、「飼い殺し」のような状態になっている。
そんな状況は、今後ますます悪化し、学歴社会は崩壊の一途をたどっていくだろう、という。これからはカネを稼ぐヤツが一番エライと見なされる社会になっていくが、カネを稼ぐのは、才能や努力によるものより、時の運や親の金・コネなど自分でどうにもならない部分が大きいため、「努力すれば(ある程度は)報われていた」社会(=学歴社会)ではなくなり、子どもたちが勉強をしようというインテンシブがなくなるのではないかと懸念しているのだ。
筆者は、学歴社会をすべて肯定するわけではないが、学歴社会のよさ、つまり努力(継続力/集中力/自己管理能力/他人との競争なども)が結果となって表れること、それによって成功体験を得られることなどが無くなってしまわないか心配している。それは子どもが学んでいかなくてはならない大きな要素だからだ。そのため、学歴優遇も多様化の1つとして残しておくことや本人の努力でいつでも書き換えられるようにすることが大事という。

おカネを稼ぐことが成功の尺度になるといっても、お金を稼ぐにも才気、努力、頭のよさ、行動力が必要なので、筆者のいう「ギャンブル社会」にはならないと思う。が、単純に「学歴=収入」になるとは思えない。なぜ上の学校を目指すか。非常に分かりにくく、答えづらい問題だ。
あの呪文のように言われていた「いい大学にいっていい会社に入る」ってなんだったんでしょうね。